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今でも思い出す場面がある。
いつだったか、久しぶりに祖母の家へ姉と泊まりにいった日のこと。
お菓子をたらふく食べ、ひどくおなかがふくれていた。
その日の晩御飯は、すき焼きだった。
2人のために美味しいお肉を買ったのよと
まだ元気だった頃の祖母がにこにことしていた。
お肉は、ほとんど食べられなかった。
ばあちゃん独りじゃ、食べられないよと
祖母は困ったように笑った。
あの日のことを、ふとした瞬間思い出す。
祖母に悪いことをしたという罪悪感を
今でもはっきりとひきずっている。
あれから何年も月日がたって
今では、寝たきりになり、しゃべれなくなった祖母が
薄暗い病室で寝ている。
体が不自由になって、一緒に過ごしたとき
どうしてもっと優しくしてあげなかったのだろうとか
老人ホームにはいってからも、もっと遊びにいけばよかったのにとか
色んな罪悪感の中で、
あの日、祖母が私達のために買ってくれた牛肉を
全部食べれなかったことが、
なぜだか一番胸の奥底でうずいて離れない。
祖母の、私達を喜ばせたいと想ってくれた気持ちの塊を
たいらげることのできなかった自分に対する気持ちが
胸の底にこびりついて離れない。
23
23になって、びっくりしたことがある。
なんて、生きづらいのだろうと。
私が、私であることが息苦しい。
変われない自分が、忌ま忌ましい。
生きづらい、
生き苦しい
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そんなこと、知らないよと思って
悲しくなった。
私の判断では、どうしようもないこと、沢山ある。
楽しいと思ってたこと
ずっと続くと思ってたこと
ある日突然終わるってこと、
よくあるのに。
悲しい。
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逃げ場のない、夜。
だれといても
どこにいても
逃げ場がないと、感じる夜。
目をつむる。
風が走るのが見える。
どうか、
どうか、この痛みが永遠に続きますように。
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もう、いなくなってしまっても
いいんじゃないかって思うくらい、
堕ちる夜がある。
夜を乗り越えるから。
泣かないですむように。
せめて、それくらいでいたい。
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自分の魂について、考えたことが今までなかった。
唐突に、気づいた。
そうしたら少しだけ楽しくなった。
私の魂は、実体はないけれど
あったとしたらどんな形をしてるんだろう。
頭の中で、イメージを追いかける。
多分、丸い。
ボコボコしていそう。
ふわふわではない。
形を変えそうだ。
紐でぐるぐるになっていそうな気もした。
麻の紐。
イヤホンで音楽を聴くと
魂が共鳴していく。
共鳴できる音楽が、一番気持ちいい。
魂が感じることを、私自身も感じていたい。
ひどく難しいことのように思えるけれど
案外簡単なのかもしれない。
私の頭の先から、爪先まで
私に私という存在が宿っている。
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愚痴や、悩みをきくのはとても簡単。
でも、逆は時々ひどく難しい。
色んなことが、私をふみとどまらせる。
飲み込んだ言葉は、消化させるのに時間がかかる。
食道がやけただれていく。
完結させるまでの時間が苦痛だけれど
誰とそれを共有したらいいのか、分からない。
決定的な原因は、
今までも、これからも
私が自分に自信も誇りも持てないからだ。
そこまで分かっていても、安心出来る言葉はどこにも落ちてない。
暖かい言葉も、私はふいっと避けてしまう。
私を限りなく100%に近い気持ちを受けとめて、
寄り添って歩いてくれると信じられる人がいないからだ。
私はいつもどんな時も平気なふりをしながら、
切望してる。
見つかるまで、どうすればいいんだろう?
出会った時のために、自分を磨く?
信じて待つ?
行きたい場所へとりあえず行ってみる?
今はそうでなくても、いずれそうなると誰かを信じてみる?
他には?
たったひとつだけわかることは、絶対に中途半端ではダメだってこと。
そうでないと、私は救われないから。